In my 高野豆腐 head

頭スカスカ人間による雑文置き場

わたしの推し

 わたしの推し、という題で書くが、正直、「推し」という語感は苦手だ。「推す」という言葉を使うより素直に「応援している」と言ったほうが好感が持てる。以下に理由を書く。

  • 一、「推す」とは自分を対象より同等以上と考えているから出てくる言葉である。漢語にして同様の言葉、「推薦する」とでも言い換えてみればはっきりするであろう。
  • 二、「推す」といった時、その主体となるのはあくまでも「推す」側の人間であり、スターや作品本人ではないような感じがする。自我の拡大、自己主張の一部としてその対象を用いているように感じられる。
  • 三、商売人のポップみたいでいやだ。

 誰かや何かに強烈な憧憬を抱くことは美しいし、自分はいつまでもそうでありたいと思う。だが、創作者・表現者と享受者である自己との間には、明確な彼我の線が引かれているから純粋さを保てるとも思うのだ。自分は○○を推している、だから金も時間も使っているという時、その人の顔は千と千尋の神隠しに出てくるカオナシに似ているに違いない。ちなみに、カオナシ千と千尋キャラのわたしの推しです。