In my 高野豆腐 head

頭スカスカ人間による雑文置き場

趣味としての睡眠

 眠りには2種類あると思う。生物学的要求としての眠りと、ただひたすら眠りの快楽を味わうために眠る、というものだ。

 夜の眠りは義務としての眠りだ。そしてその義務をろくに全うできなくて(要するに不眠症で)自分は薬を飲んでいる。こういう人工的な眠りはあまり面白いものではない。

 午後の眠りは快楽のための眠りだ。ホワイトノイズをイヤホンで聞きながら、目を閉じて横になっているだけで楽しい。眠りの浸透性に甘さがあるというか。平日は仕事で昼休みに寝るわけだが、1分でも寝られるようにとデスクワーク中に焼き芋やらバナナを食べて昼食をすませる。この甘露の如き時間を、僅かであれとりこぼしたくはない。

 夜の睡眠も同じような「趣味性」を帯びないものかと思う。「明日のため」とか「身体のため」といった義務性を放棄して快楽として睡眠を味わいたい。ところで、不眠症の心理面での最大の要因はこの眠りの「義務性」にあるのではないかと思う。履歴書の趣味欄に「寝ること」と堂々とかけるくらいに眠りの文化が発達してほしいものだ。