In my 高野豆腐 head

頭スカスカ人間による雑文置き場

何かをやり遂げてへとへとになる

 そういう感覚を最近味わっている。

 自分の場合、それは特に他人の前で言葉を使うことだ。今度、80名近くが集まる場で一席ぶたなければならない。言語中枢の柔軟性、みずみずしさがどんどんなくなってきていると感じる。となると自分に残された道は老落語家のフラだけが残ったような状態になることかな。でもあれは言葉を突き詰めていった人が最後にたどり着く境地だから単なる惚けとも違うような気がする。いずれにしても、俺は言葉を失いながらこれからは生きていくのだろう。

モラトリアムの終焉

 最近、自分の長い長い長いモラトリアムの終焉がきたな、と思った。たいていの人は大学卒業くらいで済ませておくようなものを、自分はずっと精神的に宙ぶらりんの状態で40までやってきた。その最後の夏休みともいえるものが、コロナのここ2年間だった。社会生活や経済活動、家族生活は続行していたが、精神的にはほとんど引きこもりのように過ごした。日本の古典や、気に入った作家を深堀したりしながら時間を過ごした。

 プレイヤーからマネージャーへというか、遊び人からいきなりマネージャーになったような気さえする。何かを真剣に追求したことがなく、克己心もなく流されるままに生きてきた。それはおそらくは変わらないのだろうけど、責任の増大とともに言動ともに慎重にならざるを得ない局面が増えていくんだろう。そして、そういうのを一つ一つ片づけていくと、すっかり老いた肉体が残っているんだろうな。

雨漏りする心 3/9

これから毎日日記をつけることにした。よって他人から見たら全く価値のない記述が延々と紡がれていくことになる。

 

中島らも躁うつ病との闘いを書いたエッセイで、「心が雨漏りする日には」というものがある。とても良い表現だと思う。鬱っぽい時というのは、特に思いつく原因もなく、じとじとしとしとどこかから心にしみ出してくるようなうっとおしさでおおわれる。自分の感じているこの内的な不安感は、もちろんらも氏のような深刻なもんではないが、原因は何だろう。そう考えること自体がナンセンスだと思う。差し当たって大切なのは雨漏りを防ぐことだからだ。

今日もまた寝坊した

 深夜3時、息子のおねしょアラームがガン鳴りした。息子は小3になるが、まだ夜尿症が収まらない。業を煮やして妻がアマゾンで買ってきたんである。おねしょのたびにバイブが作動し、やかましいアラーム音により本人に通知して、認知させることでおねしょの頻度を減らしていく原理で、多少拷問めいた器具である。可哀想かな、と思ったけど息子の方は全然起きやしない。親が叩き起こされる。親が拷問を受ける羽目になっている。

 眠剤も酒もいれず、いい感じで眠れている最中だったから、不快感が甚だしかった。しばらく不眠症が収まるまで家族とは寝床を分けることにする。たまに息子が赤ん坊だった時の事を思い出して、甘い追憶に浸るのだが、実際は夜泣きがひどくてよく叩き起こされていたことを思い出した。記憶は美化される。

寝坊した

 30分ほどの遅刻。

 昨日、夜があんまり長く感じられたので、頭を使う作業をしばらくしていた。そのせいか、眠剤を飲んでもアイマスクをしても中々寝付けなかった。くだらない本を読んでいると無限に時間が溶けていく。交感神経がなかなかOFFにならないのだ。OFFにする手っ取り早い方法は、なにかを腹に入れることである。冷蔵庫に子供用のヨーグルトがあったのでそれを食べ、エビオス錠を8錠ほど飲む。しばらくして眠りについた。

 朝きっかり6:30頃に目が覚めたが、寝不足だと身体が叫んでいるようなのでギリギリまで布団の中にいる。挙げ句の果てに寝坊して、遅刻した。30分ほどだが。まあええか。節酒及び不眠症の戦いは、まだ始まったばかりだ。相手はなかなか手ごわい。なお、自分の節酒のルールとして、「飲酒日に飲まなかった場合、次の飲酒日に飲酒上限量を繰り越す」という実にご都合主義的なルールで運用している。実際にはそんなに飲めないけど、次の飲酒日には上限日本酒6合まで飲める。楽しみである。しかし、いまは内臓を思い切り休ませてやりたいという親心のようなものが出てきている。体中のデキモノや湿疹が少しずつ沈静化しているような気もする。というわけで、しばらく飲酒は控えることにする。湿疹やデキモノが良くなるまでは。そうなると、許容飲酒量も増えて、いよいよ先が楽しみになるという算段である。

だるい

 断酒二日目にして、ひたすら怠い。肝臓の疲れが出てきているのか。本来飲酒日にするはずだったが、これを続けてだるさが抜けるのか見てみたい。あと、皮膚の荒れも結構キテいる。足におできが、腹部にひどいアトピーが出ている。とりあえず、何日か断酒してみて、これらが改善するのか否か見てみよう思う。

 ブラックコーヒーを淹れて飲んだ。これで夕方にかけて落ち込んでいたメンタルがちょっとだけ上向いた。またファミマでおにぎり買って食べながら帰るつもり。最寄りのコンビニはローソンだが、ローソンのツナマヨはカツオを使っているのでちょっと癖があって食べづらいと個人的に感じる。

 

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 酒を飲んでいないと夜の時間が無限に感じる。要するに自分と向き合うのが怖いので酒を飲んでいたのかもしれない。一種の自失願望とでも言おうか。そんなロマンティシズムに付き合っていられるほど、自分も若くはない。